夢心地「岩田栄次の波乱人生」第1話

今回のメルマガ「夢心地」は主人公岩田栄次の波乱な人生をお送りいたします。

少しでも読者の皆様にお役に立つ事が出来れば幸いです。

■第1話「映画館の息子」

物語の主人公栄次は信州の田舎町で生まれ育った。男四人末妹の五人兄弟の三男坊である。栄次の親父は京都帝大を卒業し、京都の大学で教鞭をとっていた程の教育者であったが、お爺さんが始めた県下で初の芝居小屋を映画館に転換し最盛期は3軒経営していたが、栄次が中学時代にテレビの普及と共に衰退し一軒になり、かなり経営が苦しい状態であった。

栄次が小学一年生の頃お爺さんの葬式があった。祖父が芝居小屋の経営と的屋の元締めをしていた事で、小さな町のメインストリートの両側に長蛇の列で黒装束の親分衆が何十人と並び、その先頭に位牌をもった栄次の写真が残っている。   

それこそヤクザ映画のワンシーンである。祖父が亡くなる直後手を確り「爺ちゃん死なないで!」と叫んだ記憶が残っている。祖父の全盛期の頃は、芝居小屋の他に料亭も経営していたらしく、住まいの離れに12畳間の大座敷があり「爺ちゃん!この部屋は何する部屋なの?」と聞いたとき「栄次!この部屋はな 県下の親分衆が集まって月に一回花会をする部屋なんだよ!」「花会って何?」の問いに、後に花札賭博という事が分かった。

そんなお爺さんの息子である親父は、反面生真面目な頭の良い教育者であり、栄次以外の兄弟は皆真面目で頭が良かったが、爺さんの血筋を栄次一人が受け継いだかも知れない。

映画の上映は日活、松竹、東宝、新東宝大映、洋画とすべて扱っており、毎週三本立ての放映であった。中でも日活映画が好きだった栄次は、裕次郎小林旭等のナイスガイ・マイトガイ・タフガイ・ダンプガイ・・・に憧れたものであった。

ギターを真似したり、マフラーを巻いたり、ダイスを練習したり、バケツをドラム代わりにして叩いたりしていたのを記憶している。

 

栄次の中学時代、土曜日になると仲の良い仲間が「今日は栄次家で宿題しようぜ!」

と言って必ずやってくる。しかも、玄関からではなく栄次の部屋にハシゴを掛けて

登って来るのだ。毎週土曜日に何故皆隠れてやってくるのか?と、言うお話はまた

来週の夢心地だ!