夢心地「岩田栄次の波乱人生」第5話

第5話「横浜のそれから」

■行く当てもなく西口方面をブラブラ歩いていた。とにかく今日の寝泊まり先を探さなきゃならないと思い、ポケットに手を突っ込んだ。。

千円札2枚とじゃり銭だけである。駅の近くまで歩くと大きな5階建てのビルの地下に

茶店らしき店があり「バーテンダー募集!住み込みOK!」と、正に栄次にとっては願ってもない募集の張り紙があった。

「これだ!」と思った時その店の真ん前の文具屋で履歴書を買い、募集の喫茶店に飛び込んだ。そそくさと地下の店の一番隅の席に座りモーニングを頼み、履歴書を書き上げていた。「すみません!募集の件でお話したいのですが」と言うと、

しばらくすると事務所らしき奥の部屋から30代の黒いダブルスーツをきたマネージャーがやってきた。

「お待たせ!募集見てきたの?」「こういう仕事経験ある?」

「田舎で親戚のスナックでバイトやってました」と答えると、

「何だ!大学昨日やめて来たんか?」とビックリした後、

「よし!それじゃあ明日からやって見るか!」と軽く採用となった。・・・が、

帰るところの無い栄次はすかさず、「いえ!今日から見習いやらせて下さい!」

と、頼み込むと「そうか!じゃあ奥で着替えて見習いやって貰うか」

「有難うございます!一生懸命頑張ります」と、力一杯の誠意を見せようと大きな声で答えた。

白衣に着替えて三人いる先輩たちに挨拶していざ、カウンターへ。

コーヒーの立て方、おしぼりの巻き方、レモンスライス、ミルク、紅茶、サンドウィチ

アイス、フロート、パフェなど ほとんどの物はやった事があり一回見ていただけで

すぐに理解できた。

夕方迄頑張っていると

「ご苦労様!お前!今日はもう良いぞ!」とMgに肩を叩かれた。

すかさず栄次は「いや!仕事覚えたいので最後までやってきます」と、言うと

「感心な奴だな!じゃあ最後までやって行くか」

そして、夜11時閉店時間

「ご苦労さん!朝から疲れただろう。もう、上がって良いよ!」と、

言われ困りながら答えた。

「あの~張り紙に住み込み可とあったんですが・・・・?」

眼を丸くしたMg達はあきれ顔で「えっ?お前!宿無しか?」と、ビックリ。

しばらく間が開いてから、「じゃあ今日だけ店のソファーで寝ろと、毛布一枚貸してくれた」

翌日店に一番に出勤したチーフが仰天したと言うお話は次回の夢心地のkokoroだ!

夢心地「岩田栄次の波乱人生」第4話

第4話「大学進学」

■実家が映画館という特殊な環境で育った栄次は、友達から羨ましがられたり変な奴だと後ろ指を刺されたりした事があった。

裕次郎に感化されバケツをドラム代わりに叩いたり、アキラに感化されギター代わりにほうきを持ったり、長目の茶碗にサイコロを入れてダイスの練習をしたり、トランプや花札、麻雀とかなりの影響を受けていた。

そのお蔭でトランプ・花札・麻雀・将棋等は今でも得意分野であった。

そんなこんなで十何倍と言う難関を突破して無事県立の高校に入り、何とか東京のC大学経済学部に入学したのだった。

キャンバスではいろいろな部活の勧誘があり、何の興味も持たずブラブラしていると

ボサボサ頭の年上の先輩らしき学生が声をかけて来た。

「君!ウチに来ないか?」

「えっ!何の部活ですか?」

「辞逹学会と言って弁論部みたいなものだよ」

これと言って何の目的も持たない栄次は、しばらくの間胸の内で考えていた。

男なら自分の思いをしっかり表現できなければ・・・・と。

「興味あります。一度見学させて下さい」と答えてしまった。

結局ズルズルと入部する事となり、毎晩 河岸の淵に10人位の仲間と共に発声練習を行った。

「アイウエオアオ!」「アイウエオアオ!」と、大きな声で絶叫する。

何か月か経った時先輩から〇〇五大学新人弁論大会に出るように言われ、各大学から五名ずつ出る事となり、「神奈川県の汚職問題」を題材として練習に励み発表したのであった。

採点基準は歩き方・姿勢・声量・発表内容・等などであり、栄次が発表していた時会場から「ナンセンス!」大きなヤジが飛んで来た。

先輩からそういう時の対処方法を教わっていた栄次は、ヤジの飛んで来た方向を睨みつけながらより大きな声で話を続けたのが高得点に繋がったのか、何と準優勝の栄冠に輝いてしまった。

一年を経とうとした頃、大学生活に甘んじていた自分に嫌気がさし、無性に将来の事を考え自分にできる仕事を探そうと思い始めていた。一年最後の試験会場で答案用紙が配られ、答案用紙をひっくり返して大学に対する不満や要望を書き出した。

「中退」を考えていた栄次は、一番最初に手を挙げて「できました!」と言って退出した。

アパートに戻り近くの買取店へ行き、リヤカーを借りてベット・布団・本など身の回りの物を入れたバッグ一つを残し、全てを処分したのだった。

連絡をしてあった友達5人と飲み屋で落ち合い、新しい門出に乾杯!と、やったのは良いが、金のない連中だけに栄次が自費で送別会をやる羽目となった。

皆と別れて今度来た最終電車に乗って着いたところで考える事にした。

結局、着いた処が横浜であった。

夜中歩いて到着した所は山下公園。ポケットを探ると三千円と小銭だけであった。

朝方横浜西口をブラブラと歩いていた時、店頭に一枚の張り紙を見つけ「これだ!」

と思った。

その後どうなったかは次回夢心地のkokoroだ!

夢心地「岩田栄次の波乱人生」第3話

第3話 秘密工作

■悪ガキ共がやって来る前に、事前にやっておかねばならない事があった。

何故ならば、肝心なショーが舞台で堂々と見る事が出来ないのである。幸いにも隣りの部屋がダンサー達の着替え室であった為、隣の部屋に見つからずに覗く事を考えた。

そこで、事前にボード一枚で仕切られていた壁板の節穴を綺麗にくりぬくことに成功した。二時間近くかけて、我ながら完璧に仕上げたのだった。

三人の友達は夕方早々にやってきた。一応見せかけの勉強道具を持ってハシゴを登って栄次の部屋の窓ガラスを叩いてやってきた。

三畳間の栄次の部屋に四人でいるととても暑苦しい。

少し経つと、外が騒々しくなってきた。館内の混雑模様が伝わってくる。

そうこうするうちに、隣室にバタバタとショーの一団が入って来た。

栄次はみんなに口止めをして話をしないように「シィー」と指を口にあてた。

成人女性の裸なんか見た事も無い栄次達は、ワクワクぞくぞく興奮していた。

物音を立てずに静かにしてショウが始まるのを待っていた。

「そろそろ覗くか?」と、そぉーと節穴を取って順番に代わる代わる覗いてみた。

「凄い!見えた」着替え最中の二十代位の女性や三十代と思われるダンサー二人

用心棒らしき男二人が見えた。

興奮しながら覗き見をしていると、突然「あそこ!誰か覗いている!」と見つかってしまった。

罪悪感を持ってるから、部屋の電気を消して覗いた為に覗いた目を見られてしまったのである。用心棒らしき体格のガッチリした男が栄次の部屋のドアを叩き、ここの息子だと説明し、「もう覗きません!」と約束させられ止む無く断念したのであった。

若き日の苦い思い出であった。

次回の夢心地のkokoroだ!

 

夢心地「岩田栄次の波乱人生」第2話

第2話 同級生がやって来る土曜夜の謎

■同級生が毎週土曜日になると何故、栄次の家にやってくるのか?  

 

 それは勿論、週代わりで新しく上映される映画を見たい事もあるが、実はそれだけで           

 はないのである。 

 彼等の目的の一つは、毎週土曜日がオールナイトで朝迄上映される映画なのだ。

 それが、特にエロチシズムな映画であり当然18歳以下は見てはいけないものである。

 

 前述したように、4部屋ある細長い楽屋部屋の一番隅の3畳間を栄次の部屋としてい

 たので親父達に見つからずに舞台の裏口から誰にも見つからず、暗い館内に入り込む

 事が出来た。暗い館内では中学生とは誰も気付かなかった。

 

 目的の二つ目は、二か月に一回位興行する「関西ストリップショウ」である。

 その時は仲の良い同級生三人が一応宿題らしきものを持参してやって来る。

 何と、栄次の部屋の隣8畳間がダンサー達の着替え室なのだ。

 

 ガキの頃から、環境が良いというか悪いというか そんな状況では勉強どころでは

 なかった。開催日がわかっており悪ガキ共も来る予定だったので、栄次は事前に

 作業をする必要があった。当日館内でショウを見たいのは山々だけれど、それは

 許されない。

 

 では、どうしたらこの一大チャンスの場面を見る事ができるのか?

 考えたあげく、誰にも見つからず見る事ができる方法を発見したのだ。

 その方法とは・・・次回の夢心地の心だ!

 

  

夢心地「岩田栄次の波乱人生」第1話

今回のメルマガ「夢心地」は主人公岩田栄次の波乱な人生をお送りいたします。

少しでも読者の皆様にお役に立つ事が出来れば幸いです。

■第1話「映画館の息子」

物語の主人公栄次は信州の田舎町で生まれ育った。男四人末妹の五人兄弟の三男坊である。栄次の親父は京都帝大を卒業し、京都の大学で教鞭をとっていた程の教育者であったが、お爺さんが始めた県下で初の芝居小屋を映画館に転換し最盛期は3軒経営していたが、栄次が中学時代にテレビの普及と共に衰退し一軒になり、かなり経営が苦しい状態であった。

栄次が小学一年生の頃お爺さんの葬式があった。祖父が芝居小屋の経営と的屋の元締めをしていた事で、小さな町のメインストリートの両側に長蛇の列で黒装束の親分衆が何十人と並び、その先頭に位牌をもった栄次の写真が残っている。   

それこそヤクザ映画のワンシーンである。祖父が亡くなる直後手を確り「爺ちゃん死なないで!」と叫んだ記憶が残っている。祖父の全盛期の頃は、芝居小屋の他に料亭も経営していたらしく、住まいの離れに12畳間の大座敷があり「爺ちゃん!この部屋は何する部屋なの?」と聞いたとき「栄次!この部屋はな 県下の親分衆が集まって月に一回花会をする部屋なんだよ!」「花会って何?」の問いに、後に花札賭博という事が分かった。

そんなお爺さんの息子である親父は、反面生真面目な頭の良い教育者であり、栄次以外の兄弟は皆真面目で頭が良かったが、爺さんの血筋を栄次一人が受け継いだかも知れない。

映画の上映は日活、松竹、東宝、新東宝大映、洋画とすべて扱っており、毎週三本立ての放映であった。中でも日活映画が好きだった栄次は、裕次郎小林旭等のナイスガイ・マイトガイ・タフガイ・ダンプガイ・・・に憧れたものであった。

ギターを真似したり、マフラーを巻いたり、ダイスを練習したり、バケツをドラム代わりにして叩いたりしていたのを記憶している。

 

栄次の中学時代、土曜日になると仲の良い仲間が「今日は栄次家で宿題しようぜ!」

と言って必ずやってくる。しかも、玄関からではなく栄次の部屋にハシゴを掛けて

登って来るのだ。毎週土曜日に何故皆隠れてやってくるのか?と、言うお話はまた

来週の夢心地だ!